2022年10月、テックやアート、アカデミアなどの多彩な領域からプレイヤーを招き、「GEMINI Laboratory」のキックオフイベントが開催された。
4時間超におよんだセッションはケヴィン・ケリー氏のビデオメッセージに始まり、計7つのトークプログラムが展開。視覚のみにとらわれず、リアルとバーチャルがボーダレスに作用しあうことで生まれるミラーワールドの可能性とはいかなるものか? デジタルとフィジカル、空想と現実、過去と未来、つくり手と使い手など、さまざまな境界が曖昧になっていくこの時代に、人間の知覚や精神、振る舞いはどう変わっていくのか? ここでは、その問いをメディア論や文化人類学などの視点から探り合った議論の一部を紹介し、次なる共創アクションを考える。
「GEMINI Laboratory」プログラム
「ミラーワールドの新たなコンテクスト」(『WIRED』創刊編集長、ミラーワールド提唱者:ケヴィン・ケリー)
「新時代のミラーワールド」(基調講演:武邑光裕)
「ミラーワールドの共創」(クロストーク: 森智也(IDEO)、有馬慶(GEMINI Laboratory))
「ミラーワールドの原型」(クロストーク:砂山太一(砂木)、酒井康史、エキソニモ、モデレーター:西村真里子(株式会社HEART CATCH))
「ミラーワールドを駆動する経済基盤」(クロストーク:豊田啓介(NOIZ、gluon)、杉山央(森ビル株式会社)、山口征浩(Psychic VR Lab)、モデレーター:松村三知代(GEMINI Laboratory))
「ミラーワールドの文化的開拓」(クロストーク:陳暁夏代、たかくらかずき、モデレーター:丹原健翔)
「ミラーワールドと人間性」(クロストーク:平野啓一郎、富永京子、モデレーター:西村真里子(株式会社HEART CATCH))
ゴーグルの枠を越えた没入体験を考える
『5000日後の世界 すべてがAIと接続された「ミラーワールド」が訪れる』 。しばしば予見者とも称される『WIRED誌』創刊編集長、ケヴィン・ケリー氏のベストセラー書籍でさらに関心を集めた「ミラーワールド」という概念。このイベントもケリー氏の挨拶から始まり、エンターテイメントや仕事の効率化に寄与し、暮らしを豊かにするであろう「ミラーワールド」への期待が語られた。
革新的なイメージを持つミラーワールドだが、メディア美学者の武⾢氏は、その原初として、書物への没入体験を挙げる。1450年頃に起きた印刷技術の発明と活字の氾濫は、人間の視覚を肥大化させ、活字から世界をとらえようとする「活字人間」を次々と生み出した。
活字から世界をとらえるという点では、昨今バズワードとなっている「メタバース」や「アバター」も、SF作家ニール・スティーヴンスン氏が1992年発表の小説『スノウ・クラッシュ』のなかで提唱した概念である。政府が弱体化し、フランチャイズ擬似国家が国土を分割統治するようになった未来のアメリカを描いたこの小説は、脱中央集権に向かうWeb3.0時代の今日に重なる予知夢のような大作だ。
近年の没入体験に関する議論においては、VRゴーグルやVRヘッドセットなどの技術の進歩に伴い、視覚に偏っていた人間の身体を回復するような、五感を網羅するメタバースの実現可能性が中心的な話題となってきた。
しかし没入自体は(書物をはじめ)何千年も前からデバイスなしでも可能な体験であることから、武邑氏は「エンターテイメントや仕事、あるいはメタバースにおいて没入体験を追求するのであれば、ゴーグルの枠を越えて考える必要がある」と指摘する。加えて注視すべきは、若い世代の人々は「必ずしもバーチャルよりも物理的な現実世界をリアルであると思うわけではない」という点である。
リアルとバーチャルは二項対立ではない。刷新されていく、人々の「現実感」
リアルとバーチャル、デジタルとフィジカルが対ではなくなるほど、それぞれの境界線は曖昧になり、人々の現実感も刷新されてきている。
「GEMINI Laboratory」の有馬氏と、プロジェクトのネーミングに関わったIDEOの森氏も、それらを二項対立では捉えていない。森氏曰く「リアルの上にバーチャルのレイヤーがあり、そこに目には見えない人間の感覚が乗っていくような複層的な世界をイメージしている」。
凸版印刷は、かねてより木目や石に代表されるテクスチャーを忠実に再現した建材製品を展開しているが、「GEMINI Laboratory」では、ミラーワールドやメタバースをはじめとするXR空間内でも「テクスチャーの実装」を可能にするデータベースの構築を加速させていく。
「リアルの上にバーチャルのレイヤーがあり、そこに目には見えない人間の感覚が乗っていく」と、それは次第にXR空間内でのテクスチャーに影響するだろう。「ミラーワールドの原型」のトークプログラムに登壇したデザイナー / プログラマの砂山氏は、ゲームやVRチャットにおける人や壁などの障害物をすり抜ける感覚、衝突しない・触れられない世界に対して、若い世代はある種の現実感や感受性を持っていることに言及する。
こうした人間の現実感の刷新は、今後10年間でもさらに大きな変容を遂げるだろう。この勢いを後押しするのが、まさに武邑氏が言う「ゴーグルの枠を越えて、デジタルとフィジカルの接続・同期を試みる」新時代のミラーワールドなのではないだろうか。
さまざまな境界の「曖昧さ」から、アーティストが描き出す情景
4時間超におよぶディスカッションとは別にもうひとつ、ミラーワールドの実装によってもたらされる心理や身体感覚について洞察を深める場となったのが、本イベント後に開催された展覧会『GEMINI Laboratory Exhibition:デバッグの情景』である。
イベントにも登壇した本展のキュレーター 丹原氏は、「デジタルとフィジカルへアクセスするOSが一緒になり、境界線が曖昧になるそんな世界では、実像と虚像、過去と未来、日常と非日常、ひいては生と死にもその曖昧さは共振する」とステイトメントを掲げ、その曖昧さがつくりだす新しい情景を6組のアーティストと立ち上げた。
先に登場した砂山氏も、自身が共同代表を務める「砂木」として本展に参加した。砂木の作品は、3D空間上でふたつの物質が同じ場所に重なったときに起こるテクスチャのバグ(Z-Fighting)を使って制作した、現実世界では二人の人間が座ることのできない「二人掛けのスツール」だ。現実世界では二人座ることができない点も含めて、砂山氏が言及していた、仮想空間における衝突しない・触れることができないことへの現実感と、「リアル / バーチャル」「デジタル / フィジカル」を隔つ境界線の曖昧さを物質化した作品だと言える。
一方、リアルとバーチャルの境界が曖昧になりつつあるとはいえ、現実的には完全な融合は決して一筋縄ではいかない。
「ミラーワールドと文化」をテーマにしたトークでは、アーティストのたかくら氏、プランナー・クリエイティブディレクターの陳暁氏によって、Web3のコミュニティーは本当に「脱中央集権的」なのか、テクノロジーが進化しても私たちの根源的なコミュニケーションは変わっていないのではないか、といった問いが投げかけられ、フィジカルとバーチャルが同一視された世界への疑問や課題、新しいものを簡単に受け入れられない人々の反発心についても話がおよんだ。
街の空間にデジタルのレイヤーが重なる未来
現状まだまだ多くの開発は各領域それぞれ交わらずに別のプレーヤーが構築し、その領域のなかで完結している。「GEMINI Laboratory」は、このキックオフイベントに多彩なゲストが登壇したように、境界線を溶かして違う文化圏が交わり合い、同じフィールドで試行錯誤しながら新しい未来を共創しようというモチベーションのもと動いていく。
そのためには、日常的な物理空間にデジタル / バーチャルの世界に触れる多様な入り口を用意して、つくり手と使い手の境界線を曖昧にしていく必要があるのではないか──「経済活動の基盤としてのミラーワールド」というトークプログラムでは、この仮説を前提に、都市開発やアート、建築などの視点から課題や可能性が議論された。
XRクリエイティブプラットフォーム「STYLY」を提供するPsychic VR Labの山口氏は、都市での実空間が複数のレイヤーを持ち、人々が自分に適したレイヤーに切り替えながら生活していく未来を思い描き、『チームラボボーダレス』などを手がけた森ビルの杉山央氏も、「街全体がクリエイターの表現の場となる未来がそこまできている」と期待感を膨らませる。
また建築家である豊田氏は、大学で教えている自身の経験から、近年デジタル建築を扱いたいという学生が増えている実情を紹介。「いまの若い世代はバロック建築を経験している時間よりも、『マインクラフト』や『フォートナイト』をやっている経験のほうが圧倒的に大きく、そこでの建築様式を参照元にするのは自然のこと。バロックやゴシックと『フォートナイト』を建築様式としてパラレルに扱う建築史はやらなくてはいけないと思うし、それが物理世界のデザインに主観的な共通概念として出てくるということは起こると思う」と展望を語った。
ミラーワールドによってひらかれる社会参加の可能性
メタバースやミラーワールドなどのデジタル空間は、現実の物理的・経済的・法的な制約を克服するプラットフォームとして、しばしば本当の民主主義を実現するのではないかと期待されてきた。今後の課題として、(デジタル空間やデジタルコミュニティーは)「誰が所有し、誰が統治するのか」ということが浮かび上がる。現実の世界には選挙や署名運動、抗議デモなどがあるが、ミラーワールドでは、市民が意思表示するためにどのような社会参加が可能になるのだろうか。
最後のプログラムでは、その問いをめぐって、社会運動論の研究者である富永氏と、小説家の平野氏のディスカッションが行なわれた。富永氏によると、日本における現実のデモの参加率は約5%と基本的に低調だという。その背景には、個人特定が安易な監視社会で、社会参加による「身バレ」「顔バレ」を避けたいという人々の心理が働いているようだ。
新しい公共空間であるミラーワールドでの社会参加については、そういった人々が現実ではカバーできない匿名性を得られるという点において、二人は好意的だ。富永氏は、従来の制度的な政治に参加しづらかった若者たちやマイノリティーの存在をあげ、国籍や年齢、ジェンダーといったヒエラルキーを壊すという意味で、ミラーワールドでの社会参加は参加者が有効感を持ちやすいと語る。
一方、20年後の日本を舞台とした最新作『本心』で、リアルとバーチャルを行き来する生活と人間関係を繊細に描いた平野氏は、「現状のミラーワールドは、空間的な居心地の良さや歴史的文脈の創出といったデザイン面のシミュレーションにとどまるのではないか」との見解も示した。
今後、実際にミラーワールドでの社会参加が有効性を発揮していくには、現実の代表制民主主義とはまた異なる政治のデザインを考える必要があるのかもしれない。そのプロセスや政治そのものにこそ、さらなるテクノロジーの活用が待たれる。
デジタルとフィジカル、バーチャルとリアルの境界が溶け合った世界。その未来を見据えてさまざまな視点が示された4時間超のセッションでは、没入体験から社会運動まで、多様なアイデアと課題、可能性が浮かび上がった。ここで交わされた議論の模様は、YouTubeチャンネルにて全編視聴可能。GEMINI Laboratoryでは今後もこうした対話を深め、次なる共創のアクションへとつなげていく。
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