野外のさまざまな環境音にマイクを向け、その場の音風景を切り取るフィールド・レコーディングが注目を集めている。きっかけのひとつとなったのは、フィールド・レコーディングを軸に研究・作家活動を行なう柳沢英輔(京都大学大学院特任助教)の著作『フィールド・レコーディング入門 響きのなかで世界と出会う』(フィルムアート社)が昨年出版され、第1回『音楽本大賞』を受賞するなど大きな反響を集めたことだ。
私たちは周囲の音をどのように聴き、どのように認識しているのだろうか。また、仮想空間のなかでフィールド・レコーディングの方法や考え方はどのように活かすことができるのだろうか。メタバース時代の聴覚のあり方について柳沢に話を聞いた。
この世界には、いま耳で聴いている以上の響きが潜在している
─読者のなかにはフィールド・レコーディングに馴染みのない方もいるのではないかと思います。フィールド・レコーディングとはどのようなものか、まずは簡単にご説明いただけないでしょうか。
柳沢:いわゆる辞書的な定義としては、レコーディングスタジオ以外の場所で音を録る行為や、その録音物のことをフィールド・レコーディングと呼びます。音楽に限らず、さまざまな分野で実践されていて、もともとは学術の一環として行なわれてきました。持ち運び可能な録音機が出て以降、世界の諸民族の文化、あるいは生物の音が録音の対象となったわけですが、スタジオができる前のそうした録音も現在の観点から言えばフィールド・レコーディングと言えるのではないかと思います。
─YouTubeにはフィールド・レコーディングの方法を解説する動画が大量にアップされていて、近年注目を集めている分野でもありますよね。
柳沢:そうですね。フィールド・レコーディングという言葉が広く浸透してきたのはここ10年ぐらいのことだと思います。音楽の制作環境がデジタルになって、誰もが簡単にフィールド・レコーディングをできるようになったことも大きい。視覚的なものが飽和し、聴覚への関心が高まっているということもあると思います。
─確かにここ数年、ラジオやポッドキャストなど音声メディアの可能性を再考する動きが出てきていますよね。柳沢さんご自身はどのような経緯でフィールド・レコーディングに関心を持ったのでしょうか。
柳沢:大学生のころ、タイのバンコクで民族楽器を習っていたことがあるんです。練習風景をMDウォークマンで録音して、日本に帰ってから聴いてみたら、演奏の背後にいろんな環境音が入っていたんですね。天井でファンが回る音、窓の外を車が通過する音、仲良くなった女性の先生が話す声とか。ピアノの演奏に合わせて子どもたちが歌っている声も入っていました。
録っているときは意識していなかったのですが、日本で聴いてみたらゾクッとするものがあって。偶然録れたものに、その場所と時間、空気感などが生々しく記録されていて驚きました。それが「フィールド・レコーディングって面白いな」と感じたきっかけです。
─『フィールド・レコーディング入門』のなかで柳沢さんは、録音という行為を通して世界を異なる視点から見られるようになること、いわば世界に対する新しいまなざしを獲得できることにフィールド・レコーディングの魅力のひとつがあると繰り返し語っています。フィールド・レコーディングを通して、私たちは世界に対するどのような視点を獲得することができるのでしょうか。
柳沢:フィールド・レコーディングを始めると、それまでは気にも留めなかった物や風景に興味を惹かれることがあります。本でも取り上げた例で言うと、港に転がっていたパイプのなかにラベリアマイクという綿棒の先ぐらいのマイクを入れて音を録ったことがあるのですが、ドローンミュージックのような低い音が鳴っていました。近くに停泊している船のエンジン音がパイプのなかで共振して、特定の周波数が増幅されることで低い持続音が生み出されていた。波の音やカモメの鳴き声も特定の周波数が強調されると、金属音のような響きになるんです。
ラベリアマイクを使うと、そうやって人間には入り込めないような狭い空間の音も録ることができるし、この世界には、いま耳で聴いている以上の響きが潜在していることにも気づけるようになる。そうすると、街を歩いていても、「ちょっとした場所にも別の世界が広がっている」と思うようになります。
柳沢も参加しているアルバム『Hodokeru Mimi』。2017年12月に京都・両足院で開催されたイベント『ほどける耳』でのパフォーマンスを記録した作品
─そのパイプの音は『Hodokeru Mimi』というアルバムに収められていますが、すごく不思議な音の世界が広がっていますよね。パッと聴いただけでは何の音かわかりません。
柳沢:音って説明しない限り何の音かわからないことが多いんですよ。たとえばサトウキビが風に揺れるところを写真や動画で見ると、サトウキビのことは知らなくても植物が揺れていることはわかる。でも、音だけ聴いても何の音かはわからない。以前、南大東島で作品をつくったことがあるのですが、サトウキビの揺れる音を子どもたちに聴かせたら「波の音」と言っていました。
人は、自分の記憶とか色んなものを無意識のうちに参照して音を聴いているわけですよね。飛行機の音ひとつにしても戦争を体験したおじいちゃんと、戦争を一切経験していない若い人では聴こえ方が全然違う。音というのは情報としてとても曖昧なもので、だからこそ面白いと思うんです。
テクノロジーの進化は、私たちの「聴く」という行為をどのように変え得るか?
─『フィールド・レコーディング入門』では人間には物理的・周波数的に聴くことが難しい音(振動)を録る方法についても解説されています。テクノロジーの進化によって聴こえない音さえも録ることができるようになったわけですが、テクノロジーは「聴くこと」をどのように変えていくと思われますか。
柳沢:確かにテクノロジーによって水中の音も聴けるようになったし、バットディテクター(※)によってコウモリの超音波も可聴化されました。人間の耳が聴くことができるのは非常に限定的な周波数のものでしかなくて、人間には聴こえない多様な振動の世界が存在している。テクノロジーを使うことによって、その存在を実感できるようになりました。僕自身もそういったツールを使うことで聴くという行為自体が拡張されてきたし、聴こえないとされてきた世界が身近になってきたところがあります。
- ※ バットディテクター:人間には聴こえないとされる超音波を人間の聴こえる範囲の周波数に変換する装置。主に学術的な用途で、コウモリが発する超音波を観察、収音するために用いられている。
柳沢:ただ、一般の方がそういった機器を使うことはほとんどないですよね。だから、テクノロジーが進化しても、一般的に「聴く」という行為自体は、それほど大きく変わらない気もします。目の場合、視力が悪くなったらコンタクトレンズを入れたり、眼鏡をかけたりしますが、耳の場合、補聴器をつけるくらい。それもコンタクトレンズほど誰もがつけているというわけでもない。そういう意味では、耳を拡張するツールってあまり出てきてないと思うんですよ。
―そういえば、聴こえない音まで聴こえるイヤホンやヘッドホンってないですよね。
柳沢:技術的には可能だと思うんです。でも、どこまで需要があるか。アーティストや創作活動をしている人には面白いかもしれないですが、一般の人からすると、聴こえる必要がないノイズまで聴こえてしまうわけで、日常生活のなかでは必要とされないとも思います。
どちらかというと、僕は耳を閉じる機能が欲しいですね。目は瞼で閉じることができるけれど、耳には瞼のようなものがないので24時間つねに開いています。耳を閉じるためには耳栓やイヤフォンで物理的に栓をするしかないけれど、圧迫感があるのであまり長時間つけていたくない。もう少し気軽にオンオフできるといいですよね。
―耳を拡張するのではなく、シャットダウンするためにテクノロジーが使われるのではないか、と。それは面白い発想ですね。
柳沢:いまの聴力から違和感なく30デシベルぐらい落とせるような機器があるといいですね。集中したいときに便利だと思います。
簡単に行けない場所の音環境を仮想空間内で再現。「バーチャル・フィールド・レコーディング」の可能性
─では、ミラーワールドやメタバースなどの仮想空間上では、「聴く」という行為はどのような意味を持つと思われますか。
柳沢:最初にお断りしないといけないのが、僕自身は仮想空間に関する専門家ではないということ。そこで今回の取材を受けるにあたって少し調べてみたんですが、「キューブ」と呼ばれる立方体の空間を使った、「オーディオメタバース」というものがあるそうですね。キューブのなかが音声ARの仮想空間になっていて、遠くにいる人と自由に交流することができるという。音の世界も拡張空間のなかで可能性が見出されつつあるようです。
─仮想空間上でフィールド・レコーディングの方法論を用いたケースは実際にあるのでしょうか。その可能性としてどのようなことが考えられると思われますか。
柳沢:GEMINI Laboratoryの記事で面白いなと思ったのが、バーチャルフォトグラフィー(※参考記事:風景写真家を魅了した「バーチャルフォトグラフィー」の世界とは? 横田裕市に聞く)の事例です。仮想現実であるゲームのなかのあるシーンを切り取り、撮影した作品のコンテストも行なわれている。そう考えると、「バーチャル・フィールド・レコーディング」もできなくはないんですよ。たとえば仮想現実内に熱帯雨林の音環境を再現して、そのなかでマイクの種類や位置を選びながらレコーディングするという。
─それは面白いですね。
柳沢:フィールド・レコーディングするかどうかは置いておいて、そう簡単に行くことはできない場所、たとえばアマゾンの熱帯雨林やヒマラヤ高地の音環境を仮想空間内に構築し、それを体験するというのは可能性があると思います。ほかにも、身体が不自由で、そう簡単には旅行に行けない人のために、憧れの場所の音環境をリアルに再現して、それを体験してもらうとか。
音は、ただ空間に鳴っているだけじゃなくて、さまざまな物にぶつかって反射したり吸音されたりしているので、それを全部数値化してシミュレーションすれば、音環境を再現することもできると思います。
─人間の聴覚ではキャッチできない音環境を構築することもできるわけですよね。たとえば、クジラが生きる水中の音環境を体験してみる、とか。
柳沢:確かにそれも可能ですね。コウモリが聴いている世界を体験することもできるだろうし、そういう意味では色々可能性があると思います。フィールド・レコーディングで立体的に録音されたものをマルチチャンネルのスピーカーで再生するという方法はすでに色々なところで行なわれていますが、いわゆるVRの世界だともっと複雑なことができるのかもしれない。
仮想空間ならではの民族音楽が生まれる?
─『フィールド・レコーディング入門』のなかで柳沢さんは「対象が(音楽を含む)文化の音であれ、環境の音であれ、その土地や場所に根差した固有の響きに関心がある点で共通していると私は考えている」と書いていますが、響きの固有性はフィールド・レコーディングの特徴でもありますね。そうした固有性は仮想空間上でどのような意味を持つと思われますか。
柳沢:録音された音というのはどこかの場所で録られたものであって、どんな録音であれその場所の固有性が含まれています。対照的にコンピューターでシミュレーションしてつくり出した音やシンセサイザーの音などは場所の固有性が薄いと言えます。
仮想空間でどこかの場所の音を再現した場合、固有性を含んだ音源が仮想空間のなかで異なる固有性を与えられるとも考えられます。そうなると、現実の固有性がある種相対化されていくと思うし、そこで現実の音が捉え直される機会になるとも思いますね。
─そこは面白いポイントです。本来、固有性が薄いはずの仮想空間のなかで音が捉え直されることにより、新たな固有性が生み出されていく。ひょっとしたらそうした固有性から仮想空間ならではの民族音楽が生まれてくることもあるかもしれないですね。
柳沢:そうですね、そういうこともあり得ると思います。
─では、最後の質問です。現代において、特定の時間と空間を録音し再編集する行為とはどのような意味を持つと思われますか。
柳沢:あまり抽象的な話をしても伝わりにくいと思うので、具体的な話をしたいと思います。「いまこのとき・この場の音」というのは再現不可能であり、代替不可能なものだと思うんですね。たとえば、友達や家族との何気ない会話。再現不可能なそうした会話を録音し、30年後とか40年後に聴いてみると、そこには写真や動画にはない生々しさがあるはず。写真や動画に比べて情報が少ないこともあって、より想像力を掻き立てられるものがあると思うんです。
学生にもよく言うんですよ。「友達との会話を録音して、20年後に聴いてみなよ。絶対おもしろいから」と。20年後には疎遠になっている人もいるだろうし、みんな変わってるだろうから。ある瞬間のことってどんどん忘れていってしまうわけですけど、その人の記憶と結びついた音を残しておいて、記録するだけじゃなくて後から聴く。そこに特定の時間を録音し、再生することの面白さのひとつがあると思います。
書籍情報
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『フィールド・レコーディング入門 響きのなかで世界と出会う』
『フィールド・レコーディング入門 響きのなかで世界と出会う』
著者:柳沢英輔 価格:2,400円+税 ISBN 978-4-8459-2124-9
ゲストプロフィール
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柳沢英輔(やなぎさわ えいすけ)
柳沢英輔(やなぎさわ えいすけ)
東京都生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。現在、同大学院特任助教。主な研究対象は、ベトナム中部地域の金属打楽器ゴングをめぐる音の文化。またフィールドの様々な音に焦点を当てた録音・映像作品を制作し、国内外のレーベルや映画祭などで作品を発表している。主な著書に『ベトナムの大地にゴングが響く』(灯光舎、2019年。第37回田邉尚雄賞受賞)。『フィールド・レコーディング入門 響きのなかで世界と出会う』(フィルムアート社、2022年。第1回音楽本大賞受賞)。
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大石始
文筆家
大石始
文筆家
1975年、東京生まれ。文筆家。日本の祭りや伝統芸能、アジアなど世界各地の大衆音楽/ポップカルチャーを中心に執筆している。著書に『南洋のソングライン』『盆踊りの戦後史』『奥東京人に会いに行く』など。
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