アナログとデジタルを行き来しながら、日常と非日常の交差を表現してきたファッションブランド、アンリアレイジ。デザイナーの森永邦彦は、これまで時代の最先端をいくテクノロジーを積極的に用いて、新たなファッションのあり方を模索してきた。
そして2024年7月22日、デジタルファッションのスタートアップ・SYKY(サイキー)と協業し、Apple史上初の空間コンピュータApple Vision Pro(以下、AVP)のためにファッションアプリ「SYKY for Apple Vision Pro(以下、SAVP)」を開発。バーチャル空間における新たなファッション体験のあり方を提示した。
「次の世紀は、バーチャル空間で過ごすことのほうが、人々の日常となっているかもしれません」と語る森永。彼はこれからのファッションの可能性をどうとらえ、どのような観点から拡張しようとしているのか。SAVPの開発秘話をはじめ、バーチャル空間やデジタルファッションがもたらすものづくりや消費への影響、そしてこれからのファッションデザイナーについての考えを聞いた。
Apple Vision Proで体験する22世紀のファッション
―先ほどSAVPを体験させていただきました。バーチャル空間内に設置されたステージの前にアンリアレイジの2125年春夏のルックが出現します。視線や手指のジェスチャーでAVPを操作することで、ドレスの色や質感を変えることができ、前後左右のデザインを自在に見ることができました。
映し出されたモニターには、森永さんのインタビュー映像が流れ、デザインコンセプトをより深く知ることもできます。視覚、聴覚ともに非常に臨場感があり、特別な体験になりました。
森永:ありがとうございます。SAVPは、いわゆるメタバース上でアバターに服を着せるようなものではなく、小さな部屋のなかで個人が「ファッションの非日常」を体験できるアプリケーションとして開発しました。
―100年後をテーマにした2125年春夏のデジタルルックというアイデアはどのように生まれたのでしょうか?
森永:バーチャルの世界は、時間や重力など、物理の概念が異なるものですから、いまの時代ではなく、1世紀先の服はどうなっているかを示したいと思いました。
そしてこのアイデアの原点にあったのが「神話」です。先ほど体験していただいたように、AVPは操作において目線が重要となります。これを使ってなにかファッションで表現できないかと考えたときに、ギリシャ神話に登場する怪物、メドゥーサを想起したんです。
―メドゥーサ?
森永:メドゥーサは、目が合った人を恐怖で石にするという力を持ちます。言い換えれば、マテリアルを変えるということ。いま現実世界で布が石に変わるとはありえないですよね。しかし、バーチャルの世界であれば近いことが実現できると思い、視線でとらえることによって洋服のマテリアルが変わるルックをつくりました。
SYKYのYouTubeより
―AVPは現実空間を完全に遮断するのではなく、うっすらと周囲が透けて見えるので、周りの人ともコミュニケーションを取りながらバーチャル空間に没入できる点も新鮮に感じました。
森永:AVPは実世界や周囲の人とのつながりを保つことができる空間コンピュータとなっています。デバイスに搭載されている複数のカメラが外の様子を映しているため、少し透けて見えるんです。さらに、現実空間の環境光がバーチャル空間内にも反映され、バーチャル空間にあるものにも自然な影がつくられます。
今回のSAVPでは、アプリを円滑に機能させるため、本来のデータよりも解像度の低いデータを使っていますが、現実空間の環境光を取り入れることで、服の質感も自然になり、あたかも目の前に服があるような臨場感が生まれています。
音も同様で、マイクが外界の環境音を拾っていて、外界にいる人に話しかけられるとバーチャル空間で流れる音が調整され、自然に会話ができるようになっています。
―AVPの特性をうまく利用しながらつくられたのですね。
森永:そうですね。プライベートでもAVP専用の撮影機材を使って撮影してみているのですが、これまでの写真や動画での記録とは違い、AVPは実際に空間で起きていることすべてを記録することができます。そして記録したものを再生すると、1分前の出来事が再び目の前で起こる。一度自分が体験したことを、別の角度から追体験できるような不思議な感覚があって面白いです。
ファッションプラットフォーム「SYKY」がオファーした3つの理由
―協業したSYKYはどのようにして出会ったのでしょうか?
森永:SYKYは、元ラルフローレンのデジタル部門最高責任者、アリス・デラハントが創業し、CEOを務めているラグジュアリーファッションプラットフォームです。そんなSYKYが2024年の1月、アーティスティックディレクターとして、レディ・ガガのスタイリストやUNIQLOのファッションディレクターを務めていたニコラ・フォルミケッティを迎え入れました。
ファッション界の第一線で活躍しているニコラが、デジタルファッションを手がけるなんてこれまでにない面白いことが起こりそうだと思っていた矢先に、本人から「デジタルファッションの可能性を一緒に追求しませんか」とオファーが届いたのです。
―ニコラさんは、アンリアレイジのどのようなところに親和性を感じられたと考えますか?
森永:2つのポイントがあったと思います。1つは、2021 S/S COLLECTION 「HOME」で家のような大きさの服をつくったように、「人の周りにどう空間をつくるか」といった拡張的な視点を持っていること。
もう1つが、服づくりにテクノロジーを積極的に取り入れてきたこと。コロナ禍以降はデジタルデータで服をデザインし、フィッティングもバーチャルで行なうようになっています。
このようなアナログとデジタルを行き来するような思考と経験、データの蓄積があったからこそ、世界で初となるAVPのファッションアプリを実現できるブランドとして選ばれたのだと思います。
活発になるデジタルファッション。それでも超えられない「質感」の壁
―洋服が素材の制約から解放されたことで、ファッションの可能性はどのように広がりましたか?
森永:素材を原料のレベルで見ると、ゼロイチでつくることは非常に難しいものです。どうしても有限なものを搾取しなければ、テキスタイルに落とし込んでいくことはできません。
いまもまさに、ファッション業界だけでなく、さまざまな産業で環境や資源とどう向き合うか試行錯誤されていますが、これまでの考えが大きく変わらない限りは、「ものをつくること」がよりネガティブな行為になっていくんじゃないかと思っていて。
今回AVPで素材の制約から解放された洋服づくりを体験して、なにかを搾取するものづくりではなく、さらに一着の服でマテリアルを自在に変えられるようになったら、世のなかも大きく変わっていくのではないかと可能性を感じましたね。
―消費者の行動にはどのような影響があると思いますか?
森永:コロナ禍を経て、デジタル空間でリアルな洋服を購買する体験が活発になり、人は物理的に移動せずにファッションを体験できるようになってきたと思います。
そのなかでデジタルが超えられない壁の一つとして残っているのが、洋服の質感や肌触りです。これからはものの質感がさらに高い価値を持ち、消費者が求める時代が来るような気がしています。
アンリアレイジが洋服の質感を追求する意味
―森永さんのなかで、質感や肌触りに、これまで以上の価値が生まれる可能性があると。そのような考えが生まれるきっかけとなった経験があったのでしょうか?
森永: 2018年に、暗闇をテーマにしたエンタメを手がける「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」とクリエイティブ集団・ライゾマティクスの研究部門である「ライゾマティクスリサーチ」とともに取り組んだ「echo」というプロジェクトの影響が大きいと思います。
このプロジェクトでは、暗闇という非日常的な空間での知覚体験を提供したり、そうした空間に呼応する服を製作したりしました。その過程で、視覚障がい者とものの質感や肌触りについて対話を重ねていくうちに、目で見えるものだけじゃないファッションのあり方もあると気づいたんですよね。
服自体が信号を発し、空間との距離を認識する「echo」。光を受け取り空間を認識する目とは異なる、新しい身体器官としての服(echo projectのYouTubeより)
―具体的にどのような気づきがありましたか?
森永:たとえば視覚に障がいがある方は、触覚の解像度が驚くほど高く、洋服がどういうデザインや機能であるかを生地の触覚感覚で記憶しているそうです。購入するときも、触るだけでどういったときに使える洋服なのか、どのようなデザインなのか、色なのかを記憶しているという。しかも、特定の天気に対してどういう素材が適しているかも詳細に記憶しているので、洋服と天候や気温のミスマッチも少ないそうです。
さらに、エコーロケーションといって音を出してそれの反響をとらえることができる人もいて、コウモリやイルカのように、わずかな音の反響を聞いて、空間における自分の位置を把握できるそうです。
―本来、人間の五感はそのくらいの高い解像度で情報を得られる機能が備わっていると。
森永:その可能性を伝えたくて、「echo」では触覚に一番近いところにある洋服で、触覚の解像度をより高くできるように、距離を測れるセンサーを使い、振動でものや壁との距離を伝える洋服をつくりました。
実際に着てみると、真っ暗な空間であっても自分の体で空間を感じることができるんですよね。さらに拡張すれば、自分がいるビルの外にどのような建物があるのかも感じとることができたりして、人が持っていない知覚すらも「着せる」こともできるでしょう。
そう考えると、肌で感じ取ることができるものの質感の可能性を追求する意味は、大いにあるんじゃないでしょうか。
「デジタルファッション元年」到来。バーチャル体験が既存の価値観を反転させる
―SAVPの登場により、ファッションがこれまで越えられなかった壁を越え、画面だけでは得られなかったリアリティが体感できるようになったといえますね。
森永:まさに「デジタルファッション元年」ですよね。今年のパリコレでは、アンリアレイジはもちろん、世界的なラグジュアリーブランドも、AVPでショーの様子を撮影し、追体験できるようにすると聞いています。これからますますデジタルファッションを体験できる機会が増えていくので、楽しみにしてほしいですね。
―デジタルファッションの世界が広がっていくことで、ファッションが持つ役割はどう変わっていくと思いますか?
森永:デジタルテクノロジーとファッションは、遠いようで近い存在だと思っていて。とくにApple WatchやAVPは、身につけるという点ではファッション的ですよね。また、AVPは身体データも取れるので、それを使えばファッションにもアプローチできるのではないかと考えています。
さらに、これからはバーチャルの空間で過ごす時間も増えていくと思います。AVPのようなリアルなバーチャル空間に触れ、没入する時間が増えていけば、そこでも自分の個性を表現するような、装飾する何かが必要になってくると思います。そういったところで、ファッションの新たな市場も生まれる可能性を感じていますね。
―反対に、デジタルファッションにリスクがあるとすればなんでしょうか?
森永:現実世界との境界がシームレスになっていくことで、何かしらの弊害は生まれるのかなと思います。もともと洋服は、自分と空間、自分と他者を分け、守るためにあり、自分が自分であるための1つのレイヤーとして機能するものです。
けれども、AVPを使ってバーチャルの世界に入ると、自分自身が着ている洋服は見られなくなるんですよね。つまり、強制的にシームレスな状態になってしまう。現実世界とデジタルな世界の境目がなくなっていくと、洋服本来の機能が必要とされなくなってしまう懸念はあります。
それから、いまはデジタルの世界に適用できる法律もなく、なんでもありの状態なので、どう倫理観を持って接していくべきなのかという懸念はあります。
―なるほど。
森永:また、これからの未来を生きる子どもたちへの影響も気になるところです。僕らの世代は、長く現実世界で過ごしてきて、人生の後半に非日常であるデジタルの世界が入ってきました。
けれど、もっと若い世代の人たちは、現実世界よりもデジタルの世界の方が日常であり、現実味を感じるようになっていくでしょう。現実世界で遠く離れてしまった人とも、デジタルの世界で会い、つながり続けることができるし、そうすると人と会えなくなる感覚というのも変わってくるはず。
これからのファッションデザイナーが目指すべきゴールとは?
―森永さんは、次世代のファッションデザイナーを育てる取り組みもされていますが、これからの教育はどのように変わっていくと考えていますか?
森永:これまでのファッションデザイン教育では、欧米のラグジュアリーファッションブランドが築き上げてきた権威や価値観のなかで、一つの頂を目指して上り詰めるまでの道のりを示してきました。しかし、日本のデザイナーにとってそれはかなり厳しいものです。
だからこそ視野を広げて、ファッションというものが世の中のあらゆるところに接続できることを示せば、若い世代の人たちはもっと自由にファッションの可能性を広げていけると思っています。実際にアンリアレイジも、光で色が変わる「フォトクロミック」という素材を独自に追求し、それをフェンディであったりビヨンセが注目してくれたことで、対等な関係性でものづくりをすることができました。
今後はAIを使った拡張もできるでしょう。そのくらい、これまでとはまったく違った視点でファッションを拡張しようとしていくほうが、面白いものができるでしょうし、日本でファッションデザイナーを目指す人にとっても未来があるんじゃないかなと思います。
―最後に、森永さんが今後取り組んでいきたいことを教えてください。
森永:いまはロボットに興味がありますね。人はロボットに対して、感情が湧くか、湧かないかという境目があるような気がしていて。どうしたらロボットへの感情を生むことができるかを、よく考えます。いわゆる硬い印象のロボットではなく、もっとかわいらしい印象のロボットをファッションの力でつくれるんじゃないかと思っていますね。
作品情報
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SYKY for Apple Vision Pro
SYKY for Apple Vision Pro
ゲストプロフィール
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森永邦彦(もりながくにひこ)
森永邦彦(もりながくにひこ)
1980年東京都国立市生まれ。2003年早稲田大学社会科学部卒、大学時代からバンタンデザイン研究所に通い、卒業と同時に「ANREALAGE」設立。 継ぎ接ぎの手縫いの服づくりから始まり、いままでにないファッションを生み出そうと最先端のテクノロジーを取り入れ、光の反射する素材使いや球体・立方体などの近未来的デザインを手がける。
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宇治田エリ
ライター
宇治田エリ
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フリーランスライター・エディター。専門はコミュニケーションデザインとサウンドアート。「表現によって生まれるいい循環」を捉え、伝えていきます。
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